雪国黄精の
平成27年 さよなら くびき野号
高級快速列車で冬の新潟・酒田へ
平成27年1月12日

 去年12月6日からの猛烈な大雪により、公私共に多忙な上に正月も休み無く家の周りの除雪に追われ、年が明けて初めて自由時間が取れたのが1月12日でした。
 私の勤務先の仕事は、1月下旬から忙しさが増すのが例年のパターンなので、この日しか行楽のチャンスは無いと考え、前日の夜9時から旅行計画を立てました。
 今回の旅行で是非実現したかったのは、今年の3月14日の北陸新幹線開業で廃止される信越本線の快速くびき野の乗車です。
 くびき野号で新井~新潟間を往復するだけではつまらないので、今までに訪れたことの無い秋田県方面に足を伸ばそうかと思いましたが、さすがに秋田まで行くと日帰りで帰宅は困難になるため、帰宅が可能で遠くまで行ける地点として酒田を選びました。
 (画像は、帰りの乗車として計画に入れた、きらきらうえつ号。JR東日本のサイトからコピーしたもの。)
考えた旅行計画は、下の通りです。

≪行き≫
新井   9:37 → 新津  11:51 快速 くびき野3号
新津  12:12 → 新発田 12:40 羽越本線普通
新発田 12:54 → 酒田  14:41 特急 いなほ5号


≪帰り≫
酒田  16:11 → 新潟  18:32 快速 きらきらうえつ
新潟  19:57 → 新井  22:22 快速 くびきの6号


 自宅を9:00に出発、新井駅到着9:15。直江津から来た新井止まりのくびき野号は、3番線ホームに到着していました。切符を買い入場すると、ホームには5cmを超える積雪がありました。
 先頭車輌に乗るためにホームの端まで来ると、予想通り、くびき野号の廃止を惜しむ撮り鉄君達が数人待機し、長野から来た快速妙高号とのツーショットを撮影しようとしていました。私も、このチャンスを逃さず撮影しました。
 旧国鉄型特急車輌の快速妙高号は、間も無く雪の新井駅を遠ざかっていきました。
 残念だったのは、最近までくびき野号が旧国鉄色特急車輌で運行されていたのが、481系の3000番台に変わってしまったことでした。しかし、私は去年9月に新潟までの公用で旧国鉄色車輌に乗ることができたので、その時のことを考えれば今回は仕方がないと諦めがつきました。
 乗車した車輌は、先頭6号車のクハ481-3011でした。
(私は、電車に乗る時はモーターの音がほとんど聞こえない制御車または付随車を好んで乗りますから、この車輌に乗ると始めから決めていました。)

 途中、北陸新幹線上越妙高駅に併設となるよう移設された脇野田駅に停車しました。
 「上越妙高駅」は、この駅名になるまでにかなりの騒動と曲折があったのですが、人気投票で最多得票となり、仮決定していた「上越駅」で充分だったのではないかと私は今でも感じています。この騒動の最後になって、妙高市のある政治家が「駅名に妙高と入れなければ、××に対して○○するぞ」という脅迫紛いの言動を起こしたことが原因で、この様な駅名に決まってしまったのです。これを制止できなかった上越市の政界と民意の弱さには、ガッカリしました。
 列車は直江津、柏崎を過ぎ、11時頃に中越地方の内陸に入ってきました。今年は中越地方の積雪が例年より多い様で、来迎寺辺りの積雪は妙高市の平場並みに約50cmありました。

 直江津で特急はくたかの遅延による5分の遅れをほぼ取り戻し、新津にはほぼ定刻で到着しました。
 停車駅は直江津→柿崎→柏崎→宮内→長岡→見附→東三条→加茂→新津の順でした。
 乗客は新潟に近づくにつれ増加し、長岡から新津までの乗車率は約40%で最高となりました。
 画像は、新津駅を走り去るくびき野3号です。

 新津駅で降りるのも、羽越本線に乗るのもこれが初めてです。次に乗る、3番線に停まっていた新津発新発田行きの普通列車は、何と1輌編成のディーゼル列車(キハ110-201)でした。
 全線電化されている羽越本線で、なぜディーゼル車輌が使われるのでしょうか。
 新発田までの区間は、すべて水田地帯で、積雪が10cm程度ありました。

 新発田に定刻に着きました。新発田という地域は、新潟県に住んでいながら訪れたことの無い所でした。駅の構内にいても風が強く、妙高よりも体感温度が低く感じました。
 すぐに1番線にいなほ5号、秋田行きが入線して来ました。E653系という特急車輌が使われていました。
 この列車は指定席を取ってあり、運良く日本海側の窓側の座席で、快適に乗車することができました。
 私が降りるまでの乗車率は最大で10%程度でした。

 村上からあつみ温泉に至るまでの海岸の風景は、笹川流れと呼ばれており、荒々しい奇岩や、狭い土地に立ち並ぶ瓦葺きの民家の風景は初めて見た上に印象的でしたが、季節が冬なので、冷たそうな浜辺に出て歩きたいとは思いませんでした。暖房の効いた電車内からの観光ができただけで満足です。
 鶴岡に近づくと、列車は広い庄内平野を走り、沿線の水田では何羽もの白鳥が土に埋まった食物を探す光景も見られました。

 いなほ5号は本日の目的地、酒田に定刻に到着しました。
 途中の新発田駅で、帰りに乗車するきらきらうえつが全席指定だったことを知り、酒田に到着すると飛び込みできらきらうえつの指定券を買いました。指定券は無事に購入でき、発車時間までの90分、酒田駅周辺を散策することにしました。
 自宅での朝食を僅かな菓子だけで済ませていた私は、14時を過ぎて到着した酒田で缶ビールと菓子パンが買えれば良いと計画していたので、どこかのコンビニに入る予定でした。
 しかし、冷たい風と霰が横殴りに吹き付ける酒田駅の周辺を40分近く歩いても、1件のコンビニどころかスーパーも食料品店も無く、商店街を歩く人を一人も見掛けませんでした。
 私の住む妙高市よりも人口が多い街の駅周辺でありながら商業施設が発達していない所を今までに何箇所も見て来た私は、酒田駅前のこの程度の状況では驚きませんでしたが、遂に発見した(暗い雰囲気の)個人営業の酒店に、常温保存の350ccのキリンラガーしか缶ビールの在庫が無かったのには、衝撃を受けました。菓子パンに至っては、結果として、どこにも売っている店がありませんでした。

 商店の種類も、個人店で布団店だとかローソク店だとか漬物店だとか履物店だとか、よくこれで商売が成立すると思えます。中には、新潟県では完全に商売としては成り立たなくなった「米穀店」などという店も存在していることに驚きました。
 乱暴な言い方をさせていただければ、この地域の商業経営は、私の住む地域より20年遅れています。

 散策を終えて駅に戻った私は、先程買った缶ビールに、家から持参していたスナック菓子をツマミにして、15時40分頃、酒田駅の待合室で遅く、軽い昼食を摂ったのでありました。

 帰りは、酒田~新潟を運行するジョイフルトレイン、きらきらうえつに乗車しました。
 きらきらうえつに関しては、JR東日本などのサイトで紹介されているのでここでの解説は省略しますが、4輌編成の不定期運行快速列車です。
 日本海の夕日を鑑賞するために、10月~11月には途中の桑川駅で41分の長い停車時間を設けるという運行がされますが、私の乗車時は新潟まで途中10箇所の駅に停車する通常ダイヤでした。
 冬期で日没が早く、沿海の美景を観賞できないためか、私を含め乗客はほとんどが新潟までの移動を目的にした一般乗客で、乗車率は最大20%程度と少なく、ラウンジまで移動して社内設備を利用する乗客は数人しかいませんでした。

 発車後約30分で辺りは暗くなり、その後列車はあつみ温泉駅を過ぎて日本海の海岸沿いを走行する頃になりましたが、海岸の風景は何も見えませんでした。
 しかし、せっかく乗車の機会を得られたので、私はラウンジカーや売店、記念スタンプコーナー、プロジェクションコーナーを巡って社内設備の利用を楽しむことにしました。
 これは、車窓風景がまだ少し明るい鶴岡付近で撮影したラウンジカーの様子です。日本海に面した方向に設置されたラウンジは、この車輌の売店で物品(PETボトル入りのミネラルウォーターでも可)を購入した客のみが約40分間だけ利用することを許されるというもので、利用者が3人いました。

 ラウンジカー内にあるプロジェクションマッピングによる沿線各駅の特色紹介の様子です。きらきらうえつの車輌動画が立体的に投影されて美しかったですが、これを眺めている乗客はほとんどいませんでした。
 車内で受け取ることのできる観光用パンフレットにも、沿線の観光スポットが充分な情報量で紹介されていて、私としては、今まで知らなかった羽越地方の数多くの観光資源に興味を持ちました。今後、機会があれば夏に笹川流れを訪れてみたいと思いました。

 これは、車内の自販機で購入した、きらきらうえつ車内限定販売グッズの一つ、蒔絵シールです。(幅 約3cm。)旅行土産にピッタリ。買わなきゃ損ですね。

 乗車時間最後の40分は、疲れて自然に眠くなり、新潟には知らないうちに到着しました。
 画像は、新潟駅で撮影したきらきらうえつです。フラッシュ撮影をしたら車輌前部の星が反射していました。表面が鏡の様になっているのでしょうか。
 ありがとうきらきらうえつ号!乗車率が少なかったので(?)私には貸し切り列車の様な自由な楽しみ方をさせていただくことができました。また逢える日までお元気で!

 18時35分頃、新潟駅で途中下車した後、去年9月に駅を利用した時の万代口の餃子の王将で食べたラーメンと餃子の味が忘れられなかったので、その時と同じ時間に同じメニューを注文しました。今回の味にも大満足に浸って駅に戻り、9番線に進むと、約5分後にくびき野6号が入線しました。
 新潟駅での乗客は、自由席の各車輌当たり約15人程度でした。
 私は、くびき野3号で来た時と同じ自由席の6号車、クハ481-3011に乗車しました。

 市町村合併で新井市、妙高村、妙高高原町が妙高市に改名し、新井という行政的地名が消滅して久しい現在、新潟駅に停まっている列車の「新井」という見慣れない行き先を見て、これが信越本線の長岡、直江津、高田を経由して妙高市に向かうと分かる人がどれだけいるのか疑問に思うほど、新井という地名は次第に忘れられています。この行先表示は、快速くびき野号と新井という地名の存在をいつまでも忘れないでくれと訴えているような、悲しげな光を漆黒の寒空に放っている様に見えました。
 快速くびき野号よ、上越地方の利用者に中下越までの快適でリーズナブルな移動の機会を与えてくれて本当にありがとう!!
 新井から新潟を結ぶ列車があったということを私は旧新井市の住民として一生忘れない!

 今回の日帰り旅行で、12月初旬以来、連日の激務で僅かの気休めさえもできなかった精神的ダメージは解消されました。
 今回の旅行レポートは、これで終わりです。

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