雪国黄精の
平成21年 桂林・上海8泊9日の旅 (1/2)
---------- 神の手の鍼灸治療師編
 平成21年2月7日。
 2年振りとなる今回の中国旅行は、私の腰痛治療のために広西省チワン族自治区への移動と療養を伴う、上海の親戚との面会でした。
 女房と同伴で3:40に自家用車で中部国際空港に向け自宅を出発。途中休憩を取りながら名古屋市内まで一般国道を走り、11:15に名古屋高速に乗り、12:00に空港近くの民間駐車場に到着しました。
 中部国際空港発14:55の中国国際航空公司CA406便は、搭乗率約40%。上海浦東国際機場(空港)に16:15頃(以下中国国内時間。)に到着しました。
 上海では、国際線は上海浦東国際機場、国内線はほとんどが上海虹橋国際機場から発着する、つまり日本の成田と羽田の様な使い分けがされているので、上海浦東から上海虹橋まで1時間もかかって移動するのは無駄な行為です。従って上海浦東から桂林までの数少ない国内便を予約していました。
 上海浦東国際機場では、国際線専用の第2旅客ターミナルビルから国内線専用の第1旅客ターミナルビルまで歩いて移動し、時間に余裕を持って乗り換えができました。
 国内線の出発ロビーは、端から端まで300m位はあろうかという長さです。
 乗り換えた国内線は、初めて利用する春秋航空という航空会社の9C8805便でした。
 20:00出発で。搭乗率は80~85%。機内食のサービス無し、飲み物は有料として価格を抑えています。 23:20頃、桂林西江国際機場に到着。桂林西江国際機場はやや古臭い建物で、日本の新潟空港を少し大きくしたくらいの規模。小さいがれっきとした国際空港で、日本からは関西国際空港などからの直行便が乗り入れています。
 空港からホテルまでは定期バスとタクシーに乗り、約45分で着きました。ホテルは市街の中心部にありましたが、着いた時間が夜1時を過ぎていたのでほとんどの食堂が閉店しており、やっと見つけた深夜営業の小さな食堂で夕食を食べました。この日寝たのは2:30。旅行初日は移動に当て、できる限り遠くまで安全に移動するという目的は達成されました。
 平成21年2月8日。
 この日の行動予定は、桂林から茘浦(リープー)という小都市に移動し、第一日目の鍼灸治療を受けることでした。
 ホテルを11:30と遅い時間に出発し、桂林のバスターミナルまで、街を散歩するつもりでゆっくりと歩いて移動しました。
 桂林は、奇岩、奇峰の風景で世界的に知られる観光名所として、また季候も良いことから多くの農産物が生産されることで経済的に潤った都市です。中国の大都市に見られるような超高層マンションや大型デパートは無く、人々ののどかな生活風景を感じ取りました。
 バスターミナルから13:15発の茘浦行きのバスに乗りました。
 バスに乗車して高速道路に入り、15分位すると「妙景絶天」の桂林独特の奇岩の景色が見えてきました。この旅行中、最も興奮し、印象に残った光景です。後の旅程で、舟に乗って奇岩の景色を観賞することもしたのですが、高速道路で景色がめまぐるしく変わるバスの方が、エキサイティングに奇岩の風景を観賞できました。
 高速道路の舗装路面は比較的新しく、タイヤローラーの跡がクッキリとあり、開通後まだ半年しか経っていないように見えました。
 バスは桂林から茘浦へと南下し、次第に山地に入るに従い、奇岩の点在する密度が高まってきました。
 下の画像を御覧いただきたいのですが、これは私達が移動した高速道路区間の衛星写真です。画像上に見えるクレーターの様なものは穴ではなく、奇岩の陰です。驚くほど多数の奇岩が存在しているのがお分かりでしょう。
詳しくは、このWEBサイトを御覧下さい。→中国の衛星電子地図・桂林

 高速道路の建設区間は、この様に奇岩の多い地形なので、これを避けながら高速道路を平面設計するのは困難だったと想像されます。直線的に道路を通したら、どこかの奇岩に当たるわけで、高さ数十mはある奇岩を破砕して道路を建設するのは経済的ではありませんから、奇岩の合間をぬって曲線設置をしていくことになります。しかし、奇岩の密度が高く、奇岩を避けた平面設計が困難な場所も実際にありました。このような場所では奇岩を一部破砕して道路幅員を確保した跡が見られましたが、この区間上、先にも後にもない、最も施工が困難だったと思われる箇所を写真撮影することに成功しました。






 ←この画像がその決定的な施工箇所です。日本でも普通に見られるモルタル吹付けの法面保護工ですが、モルタルの剥落を防ぐためにロックボルトを奇岩に多数打設して補強を図っています。しかし、道路の両側とも法面保護工が地上から15m程度までしか施工されておらず、その上は奇岩の頂まで風化した石灰岩が露出していました。
 左下の画像は、別の箇所で撮影した奇岩ですが、人がよじ登れないほどの急傾斜の法面となっており、上部の植物の根の生長で風化岩が落下する危険性が高いと考えられます。
(この画像では、奇岩のふもとに民家がありますが、落石が転がってきたら住民を直撃ですね。こんな超急傾斜地に隣接した建物は、至る所にありました。)

       

 さて、この高速道路は、左の画像の民家よりも更に奇岩に接近していることから、いつ落石災害が発生してもおかしくない状況にあります。この様な場所では、私は「アミドフー!(中国語の南方方言で阿弥陀仏はこう発音する)」と唱えながら乗車を続けました。
 このような危険な箇所の道路建造は、まず奇岩を発破して除去してしまえば良いと思いますが、中国では経済発展が人民の安全よりも優先なのですね。
 バスは桂林から南に約130km離れた茘浦のバスターミナルに到着しました。
 到着するとすぐに鍼灸師の先生方2人(清雲堂中医中薬化学研究所長の羅先生と副所長の蔡先生)がお見えになりました。
 茘浦は道路整備の遅れた小都市で、街中の道路幅員が狭く四輪の自動車の通行が困難なことと、経済的に未発展なため自動車の所有者が少ないことから、人々の移動の足はバイクタクシーです。このバイクタクシー2台に分乗して私達4人は、先生方の指定するホテルに移動しました。
 ←これがバイクタクシーです。70cc位のバイクに2人乗りのリヤカーと幌を付けたものです。初乗り3元という安さです。
 所長の羅先生は、大学で日本語を学び、桂林の日本外務省の機関で長期間通訳をしていた経験もあり、その鍼灸治療の技術の高さで日本のテレビ番組にも登場されたことのある有名人なのです。
 日本へも出張治療に来ており、腰痛・関節痛はもちろん、高血圧・糖尿病・喘息・痴呆症までも針治療で治すことができるそうです。
 先生方は現在、茘浦周辺で、原因不明の症状で体の一部や全部が動かせないなどの難病患者を次々に治療することに成功している、地元の人々からも信頼の篤い治療師さんです。
 私の腰痛は、12年前に患った重症のギックリ腰が常習化したもので、しゃがんだり、体を反らすと骨が痛み、これをかばうために背筋が常に緊張して慢性的な筋肉痛になっていました。日本で整体を受ければその時は治りますが、2週間も経つと元に戻るという繰り返しでした。
 今回は5日間という治療スケジュールで予約を取って行ったのですが、先生による簡単な整体と20分の針治療で、一日目にして痛みは90%以上取れました。
 長年苦しめられた腰痛が、こんなに簡単に治ってしまうとは、今でも本当に不思議に思います。中国の鍼灸技術は本物だと感じました。
 日本で受けた整体に決定的な効果がなかったという先入観から、私は先生方に「今後、再発防止のために何か注意することはありますか?」と訊いてみましたが、「あなたの腰痛が再発することは絶対にない。特に注意することもない。」と答えられました。先生方は治療技術に自信を持っているのだから、あなたも私達を信用して、変な心配をするのはやめなさいという意味なのです。これには元気付けられました。
 この日の治療は約40分で終わり、2日目からは毎朝先生方がホテルに9:00に来て下さるということでした。
 私は、治療が成功して足腰が非常に軽くなったため、ここまでの旅の疲れも感じなくなり、女房と夜の茘浦市街を散策に出掛けました。
 茘浦の街は商店街よりも昼間の露天市場の方が賑やかで、夜の街はやや人通りが少なく見えました。私達は庶民的な食堂で夕食を摂り、服装品店やスーパーで買い物を楽しみました。
 街中に麦肯基というファストフード店を見つけました。
 中国語ではマクドナルドは当労、ケンタッキーはと表記しますが、これは両者の名前を組み合わせた偽ブランドの店名で、マッケンジーと読むことができます。これは中国では初めて見る店名でした。
 貧しい茘浦の街にはマクドナルドもケンタッキーもありませんでしたが、この店の看板がやけに目立つので、私達はこの店を目印にして行動し、道に迷わないようにしました。
 茘浦は治安が悪く、商店街が閉店すると強盗やスリが暗躍すると聞かされていましたので、22:00にはホテルに戻りました。
 平成21年2月9日。
 9:00から先生方の治療を受け、もう痛みはないことを話すと、午後から一緒に茘浦の観光名所に行かないかと誘われ、喜んで同行させてもらうことになりました。
 治療が終わった10:00から12:30までは、女房と今度は昼の茘浦の街に出て、前日は見ることのできなかった露天市場を見て回りました。
 女房と私は2人とも、大都市を見るよりもこの様な汚い場所で、どんな商品が売られているのか予想もつかない安物市場を散策する方がずっと好きです。以前訪れた重慶の跳蚤市場も、これと似た面白さにすっかり嵌まってしまいましたが、茘浦は農産物が豊富で、日本ではとても販売できない様な超低品質の日用品も無数にあり、驚きの連続でした。
 左の画像は生鮮野菜の市場で、右側の赤い箱がリンゴ、ほかにも棗、ミカン、芋、大根などの冬の果物や野菜が売られていました。ミカンは地元で採れたもので、洋梨型で20cm位の直径のものが6元で、上海の3分の1以下の価格でした。

←画像をクリックすると、拡大して表示されます。
 これは小袋入りのお菓子です。キャンディー・チョコレートや果物の乾燥品で、とてもおいしいものばかりです。500gの量り売りがされていました。この奥に陳列されているのは衣料品や靴などです。まともな衣料品は衣料専門のショッピングセンターにありますが、露天市場の衣料品や特に革靴は非常に見栄えが悪いことに興味を持って観察しました。
 食料品市場には生きたニワトリ、鴨、鯉、ナマズ、蛙、スッポンが売られていましたし、弱って死にそうな「商品」はその場で処分、解体されて売られていました。
 露天市場で特徴的だったのは、ほかの都市では人気のある海賊版DVDや電気製品、書籍などの文化的な商品を売る店が極めて少ないことでした。商店街に行けば家電販売店もありましたが、コンピューター専門店は1店しかなく、IT化のほとんど進んでいない地区でした。
 最後に、食堂で本場中国の麻豆腐と御飯を腹一杯食べて帰ってきました。唐辛子の強い辛さと山椒のしびれる辛さを十分に堪能できました。
 昼にホテルに戻った後、先生方の車で茘浦県を代表する観光地、銀子岩の鍾乳洞を見に行きました。
 日本からの観光客の多い陽朔からは20kmと近い距離にあるので、桂林を旅行される方はここを観光コースに入れるのも良いでしょう。
 内部は7色のスポットライトが当てられており、通路も比較的広くて歩き易く、中国語ですがガイドが付けられます。高さ30m近くある地下空洞など、ダイナミックな鍾乳石の造形を楽しむことができます。外気温は14度位でしたが、鍾乳洞の下から入り、出口に向けて上るという順路のため、後半は蒸し暑く、鍾乳洞の中に扇風機が設置されているほどです。夏場は非常に暑くなることでしょう。
  
↑こんな鍾乳石もあり、観光者が足を留めて興味深そうに見入っていました。
 平成21年2月10日。
 腰の治療を10:00まで受けた後、この日は桂林観光の名所、陽朔に出掛ける予定でしたが、女房が旅の疲れで一日休みたいと言ったため、私一人で遊びに出掛けることになりました。
 実は私も前日の観光の時、飲食物の入った重いリュックサックを背負って歩いていたので疲れはあったのですが、腰の療養ということを考え、荷物は持たずに済むようにこの日は茘浦の露天市場を歩き回ることにしました。
 10:30にホテルを出発し、またも市場に来ました。日用品市場はガラクタ市と形容した方が良いかもしれません。大量の珍しい商品を眺めるだけで、楽しくて仕方がありません。時間は十分にあったので、バスターミナルから西側の商店街は夕方までかけて全て回り尽くし、品質の良いものを探して家族や会社の関係者への土産を買い揃えました。
 夕方は、女房と共に美容院で理容をしてもらいました。技術レベルはそこそこに良く、日本の5分の1以下の価格であったため節約になりました。

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